10/14 00:09 更新

記録はどちらも2メートル25、
金と銀に分かれた理由とは

台湾・傅兆玄/愛知・名古屋アジア大会 男子走り高跳び

写真はイメージ Photo by Liana S on Unsplash

10/13 23:51 / 発信国:台湾

アジア大会の走り高跳び、同じ2メートル25で金と銀が分かれたのはなぜか

2026年9月27日、愛知・名古屋アジア大会の陸上男子走り高跳び決勝があった。台湾(チャイニーズ・タイペイ)の傅兆玄(23)が2メートル25を跳んで金メダルを取った。インドのサルヴェシュ・クシャレも、同じ2メートル25。記録は1センチも違わない。それでも金と銀に分かれた。分け目は、その高さを1回目で越えたか、2回目で越えたかだ。会場は名古屋市瑞穂公園陸上競技場。台湾の中央社が9月27日に報じた。

同じ2メートル25で、片方だけが1回目

メダルを取った3人は、まず2メートル22をそろって越えた。次の2メートル25で、クシャレと韓国の禹相赫(ウ・サンヒョク)は1回目を失敗した。傅兆玄だけが1回目で越えた。2回目でクシャレは成功し、禹相赫はまた失敗。2メートル28は、3人とも越えられなかった。この順番は、韓国の英字紙コリア・ジュンアン・デイリーが9月28日に書いている。

では、なぜ1回目だと上になるのか。日本陸上競技連盟のサイトに、こうある。「同じ高さとなった場合、その高さでの試技の回数が少ない方の順位が上となります。それも同じ場合は失敗した試技の少ない方が上の順位となります」。選手は同じ高さで試技を3回まで使える。使った回数が少ないほうが上。それだけだ。2メートル22までだった禹相赫は、銅メダルになった。

傅兆玄が決勝の前に狙っていたのは、銅メダルだったという。2メートル20を越えて調子がいいと感じた。金を考えたのは、2メートル25を跳んだあとだった(中央社の英語版、9月28日)。その2メートル25は、今季の自己最高に並ぶ高さだった。クシャレのほうは、最初から上を見ていた。「金が目標だった。1本ごとに金のことを考えていたが、うまくいかなかった」と話した(デヴディスコース、9月28日の英文記事からの訳)。

傅兆玄の家族が国際大会の会場に来たのは、このアジア大会が初めてだった。傅兆玄は、それで気持ちが落ち着いたと話している(聯合報、9月28日)。

「60年」の金

台湾の中央社は、中国語版も日本語版も、見出しに「60年」を入れた。台湾の男子がアジア大会の陸上で金を取るのは、1966年バンコク大会の十種競技、呉阿民以来だからだ。男子走り高跳びでは、1990年北京大会の廖学松の銅以来のメダルになった(中央社、9月27日)。

傅兆玄自身も、個人のSNSに長い文章を投稿した。四季線上4gTVが9月29日に伝えている。9月27日は人生の大きな節目になった、という書き出しだった。表彰台に立った瞬間はいろいろな感情が混ざって、言葉にできなかったとも書いている。ただ、どんな書き込みが多いのかまでは、出典では確かめられなかった。

450万元の奨金と、来年の大会

東森新聞は9月28日、傅兆玄が国光奨金450万元(台湾ドル)を受け取る見込みだと伝えた。使い道については、家族と分け合って暮らしをよくしたい、と本人が話している。

では、金メダルの実感はあるのか。帰国してからもないらしく、本当に金メダルを取ったんだろうか、と自分に聞いてしまうという(ETtoday、10月6日。原文は「我真的拿到金牌了嗎?」)。来年は世界大学競技大会、世界選手権、アジア選手権が続く。あの日、2メートル25を1回目で越えた一本が、60年ぶりの金を決めた。

出典

よく読まれている記事

こちらの記事も

← 一覧へ戻る