10/13 23:45 更新

火曜日の夜の大火事。
焼けたのはパリ最古の市場。

――未だ出火原因不明

10/13 19:16 / 発信国:フランス

パリ最古の市場が全焼 17の店は、どこで商売を続けるのか

10月12日の午前3時ごろ、パリ3区の屋内市場「マルシェ・デ・ザンファン・ルージュ」から火が出た。消防に通報が入ったのは、1時間以上あとの4時15分だった。約1000平方メートルが焼け、中で商売をしていた17の店が、まとめてなくなった。住民と店主にけがはなく、消火にあたった消防士1人が軽い体調不良になった。出火の原因は、まだ分かっていない。

消防が出したのは、およそ150人と車両50台。パリ消防のピエール・ド・ブービエ中佐は「市場は完全に破壊された。屋内市場は、もう何も残っていない」と話した。金属の骨組みは、内側で一部が崩れ落ちた。隣の建物に火は移らなかった。ただ、残った骨組みが崩れる心配は消えていない。カフェの店長ジャン=マルク・フェランドリーさんは「炎が屋根より高かった」と話した。

「パリ最古」の看板の下にいた、17の店

各社の見出しに並んだのは「1615年創設」「パリ最古の屋内食品市場」という言葉だ。確かにこの市場はルイ13世の時代にでき、1982年には歴史的建造物に登録されている。アメリカの料理雑誌「Food & Wine」は2026年、世界のストリートフードの5位にここを選んだ。この市場は、マレ地区の観光の目玉である。

ただ、焼けたのは名所だけではない。中にあったのは、日本料理の店、有機野菜の売り場、魚屋、チーズ屋、クレープの店、クスクスの店。近所の人が夕飯の材料を買い、その横で観光客が昼を食べる場所だった。

モロッコのクスクスを何十年も売ってきたアハメド・ウアディさんは、こう話した。「私たちはみんな大きな家族だった。それが今、みなし子になった。暮らしのもとが、煙になってしまった」。19年ここで働いてきたアラン・ルーセルさんは「19年間、ここは私の暮らしの場だった。ショックだ。ひとつの歴史が終わって、また一からやり直すことになる」と言った。飲食店のムラド・ハビブさんの言葉は短い。「こういうものを見ると、焼けたのは自分の仕事だ、と思う。悲しい」。近所に住むマルティーヌ・ローパンさんは「ここは私の地区で、歴史のある市場だ」「パリ中心部の魂だ」と話した。

ネットの評判

火事の夜、SNSには、炎と煙が屋根の上まで上がる映像が流れた。中小企業と観光を担当するセルジュ・パパン大臣も、国として「再建を手伝うためにパリ市の側に立つ」とXに書いた。市場を惜しむ声が広がる一方で、原因を問う人もいる。「事故なのか、放火なのか。いまの空気は不穏だ。はっきりさせないといけない」というXへの書き込みを、海外のニュースサイトが紹介した。ただ、書いた人が誰かは示されていない。警察や消防が放火と判断したという発表も、いまのところない。

1994年にも、この市場は閉まっている

この市場がなくなりかけたのは、初めてではない。建物が傷んで1994年に閉まり、壊して駐車場にする計画が出た。止めたのは、近所の住民と店主の反対だった。建物の前で夜を明かして守った住民もいたという。建築家のフロランス・ブニューさんが修復を手がけ、市場は2000年に再び開いた。

パリ市長のエマニュエル・グレゴワールは「市は、このひどい火事で被害を受けたすべての店主と近所の住民を支える」と話した。「店のために仮の場所を見つけ、すべての商売が続けられるようにする」とも言っている。3区の区長アリエル・ヴェイルも、建て直すと約束した。

では、いつから、どこで売れるのか。それは、まだ決まっていない。仮の場所も、再開の時期も、発表されていない。17の店にとっては、仕込みの道具も、冷蔵庫の中身も、客の列も、月曜の朝にまとめて消えた。

市場の運営を預かるアレクシ・アブーさんは「一から全部やり直して、この素晴らしい場所を建て直す」と話した。前に閉まったときは、また開くまでに6年かかっている。

出典

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