10/9 17:49 更新

離党届は、9月末に
出ていた

――それが表に出たのは、10月6日

写真はイメージ Photo by Tsuyoshi Kozu on Unsplash

10/7 10:12 / 発信国:日本

小沢一郎氏の離党届は9月末 公表までの1週間に起きたこと

小沢一郎前衆院議員が10月6日、国会内で記者団に対し、中道改革連合に離党届を出したことを明かした。関係者によれば、届けを出したのは9月末。党を解体する方針が決まったのを受けたものだという。しばらくは無所属で活動する。

新党をつくるかについては「まだ結論が出ていない。いろいろと模索している段階だ」と述べ、年内には結論を出す考えを示した。同じ6日、自身が率いるグループ「一清会」の会合のあとにも記者団に答え、「いろいろな選択肢を考えている。統一地方選があるから、新しい集団ということなら今年中だ」と話している(共同通信)。

離党届が出てから、公表までの間

離党届が出た9月末から、本人が話した10月6日までの約1週間、政党の側では別の動きが続いた。

9月28日、立憲民主党の水岡俊一代表が、中道改革連合を離れた議員との合流を模索する考えを示した。翌29日、政府は臨時国会を10月5日に召集すると決めた。10月1日には、中道改革連合を離党した立民出身者の新党「民主改革の会」がロゴマークを発表した。10月3日の公明党大会には、民主改革の会の小川淳也代表が来賓として出席した。10月5日、公明党と民主改革の会が、幹事長と国対委員長による協議を毎週火曜に開くことで一致したと報じられた。6日には、民主改革の会の階猛幹事長が、立民との合流は中道改革連合の理念と政策の受け入れが前提だとの考えを示している。

筆者が読めた出典の範囲では、6日より前に小沢氏の離党を報じた記事は見当たらない。提出から公表まで間が空いた理由も、出典に書かれていない。

壁に掛かったカレンダー
写真はイメージ Photo by Waldemar Brandt on Unsplash

なぜ離党したのか

中道改革連合は、立憲民主党と公明党の衆院議員が今年1月につくった政党である。2月8日の衆院選で、結党時に167あった議席が49に減り、党は9月に事実上解体した(ウィキペディア日本語版)。立民出身の現職衆院議員20人のうち18人は民主改革の会に移り、公明出身の議員は公明党に戻った。

小沢氏は、この結党にもともと反対していた。6日、当時をこう振り返っている。「安住くんにも野田くんにも、こんなのは絶対だめだ、負けると。君ら、やめろと言ったんだ。面と向かって」。「君らが特別悪いというわけではないが、絶対国民にはウケないと」とも述べた(日刊スポーツ)。9月5日には自身のユーチューブに動画を投稿した。中道改革連合・立民・公明の3党合流が見送られたことを「当然の帰結だ」と述べ、「第一歩は立民も中道も解散することだ」とも主張していた(時事通信)。小沢氏自身は2月の衆院選で落選し、19期56年余りの議員生活で初めて議席を失っている。民主改革の会には参加していない。

ネットの評判

時事通信の記事はYahoo!ニュースにも配信され、コメントは7日未明の時点で3,150件に達した。上位に並ぶのは、引退を促す書き込みと、何をやりたいのかが見えないという指摘である。「小沢一郎氏 政界から完全引退して下さい!」「二大政党制による政権交代を目指すと言いながら常に党を割って足を引っ張ってる。」といった声が目につく。選挙制度の改革を主導した責任を問う書き込みもある。一方で「私は小沢さんを応援・支持してます」と書く人もいる。

10月1日に発表された民主改革の会のロゴは、青を基調にしている。小沢氏が結党に反対し、9月末に離党届を出した中道改革連合の公式カラーも、青だった。

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出典

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